【2024年8月】「ベラルーシの林檎」と空飛ぶマダム【書評】

最新エッセイも発売中に思い出した30年前の紀行文

このブログを読んで下さる読者の方で「赤いシリーズ」と言われて
ピンと来る方は、昭和時代をかなり記憶している世代だと思う。

引退した山口百恵さん・現在のご主人の三浦友和(以下、敬称略)の
ゴールデンコンビが共演した「赤い疑惑」辺りから、パリのおばさま
として特別出演の字幕スーパーが出ていたのが、今回取り上げるエッセイの筆者
岸恵子である。

もはや説明の必要がない日本映画史に残る女優、いまだ現役で朗読劇などに登場されているし、つい最近も「91歳5か月 いま想う あの人 あのこと」という書籍を発売したばかりである。

その彼女が約30年前、ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパを旅した時の紀行文を思いだしたのだ。

◆戦時中の記憶から東欧に思いをはせる

作品のプロローグは、昭和20年5月29日の横浜空襲から幕を開けている。
空襲で九死に一生を得た後の敗戦後の食糧難、女優デビュー、国際結婚による
渡仏までが描かれている。この辺は過去に発売されたエッセイでも取り上げられたのでさらりとしているが、面白いのはこの後からだ。

◆結婚生活の中で人を知り、世界の歴史と複雑さを知る

渡仏後の彼女が出会った人々や大地の出会いが、当時の彼女のご主人や
その家族との会話、折々に出会った人たちとの交流が語られていくのだが、
会話の内容がエスプリに富み、およそ一般の日本人には交わされない内容で
ある(笑)。

欧米に行ったら、宗教や人種について語るのはタブーだと思っていたのだが、
彼女はわからない、知らないことを積極果敢にご主人や義母に質問、それについて
二人とも億劫がらずに答えてくれる、そして生きる上で「自分ならどうするか?」を考えさせられるヒントを与えてくれる会話なのが印象的だ。

ご主人の生い立ちや背景を知り、パリに生活の拠点を移しながらも、
自身のお父さんがパリで最期を迎えることになり、図らずもその辺から
「日本人」であるご自身を強く意識、離婚するまでのプロセスも、
あますところなく書かれている。

その(元)ご主人が亡くなられた頃に、撮影していた映画が「細雪」
という、ふるきよき日本を描いた傑作だということも、中々感慨深い。

◆フリーな立場から果敢な情報発信

NHKで衛星放送が2局開設された1990年代に、ちょうどベルリンの壁崩壊、
ヨーロッパの新しい展開が言われつつあった頃、ジャーナリストの位置づけで
色々な地を飛び回り、ジスカールデスタン元大統領、国境なき医師団の代表、
進出中の日本企業のトップ等にインタビューしていた頃の描写がこの本の後半に
あたる。このあたりがぐいぐい引き込まれる面白さである。

特に、イブ・モンタンのインタビューにこぎつけた辺りは、骨董品のお皿が
ギャラ替わりになっていたのだが、「よく出演してくれたな」と思う。
しかし、政治や文化についての非常に踏み込んだやりとりがあり、この辺が
日本の芸能エンターテインメントとの違いだった。

その後も、死海・マサダ砦・ニューカレドニア等々、色々な場所に積極果敢に訪問、本の表題になる「ベラルーシ」へ向かうのである。

廃墟の中で復興した日本は当時、バブル経済の真っただ中であった。
祖国と、どこに行くにもひりついた緊張感の残る当時の東欧の対比が
私にもよくわかった。
現地のおばあさんがいつくしむように食べている林檎が、日本の果物店
では高級品として売られている林檎と同品種だったが、食べ物としての
消費具合、重みが全く違うところが、これまたずっしりと重かった。

そして世界を駆け回った描写後、最後はまた、「日本」でしめくくられる。
昭和が終わった直後の日本を、長い年月の様々な経験を経て受け入れられた
描写も、非常にポジティブな終わり方だった。


現在、この本は絶版されているものの、つい最近文庫化された
岸恵子自伝」を読み進めると、この本と同じ周波数を感じることができる。

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