ゆとり教育、コンプライアンスでは測れない紀行文
わが家は旅行と外食に行く習慣のない家だった。
「旅行は行く必要がない」「外食はいけないことだ」
「家で作った料理を食べるのが一番だ」
という硬直した感覚に囚われていた。
要するにお金が大変だったからだと思うが、自分達の価値観を
最優先し、外の情報収集に疎い親類が割と多かったのだ。
成長してお金を稼ぐようになってから、海外旅行をする機会に
恵まれたが、それも自分や親兄弟が元気だからできること。
多様な文化に触れられた当時とは打って変わり、今は介護のために
旅行もままならない状態である。
私が行ったことのない(今後も行くことはない?)極地を
チームで横断した記録が書かれているという面白さにひかれて
手に取った。
◆映画「七人の侍」選びを思い出させたチーム結成
昨今話題の「体験型ツーリズム」などとは180度
違う世界がテンポよく展開されていく。
筆者の荻田泰永氏は2000年に冒険家の大場満郎氏が企画した
カナダ北極圏を700㎞踏破する冒険に参加した。
20歳で初の海外旅行がこの踏破で、当時の心境や冒険の動機も
語りつつ、今度は自分が主催者として北極圏に若者たちを連れて
行く計画を立てる。
この手法が「募集をしない」というもので、トーク番組などで
「今度若者を連れて北極へ行く」という話をするだけで、それに
問い合わせしてきた人たちを連れていくという、大変に面白い
試みだった。
「行きたい」と手を挙げた若者それぞれの境遇や動機も語られつつ
筆者の20年前がオーバーラップしていく構成である。
読んでいて往年の名画「七人の侍」の野武士が一人また一人と集まる
筋書きを思い出してしまった。
下は19歳の大学生から上は28歳の社会人まで、これに筆者と撮影担当
の1名が加わった総勢14名が徐々に固まっていく序盤は非常に面白かった。
◆転機を呼び込む前に失うものもあり
社会人の参加者が4名(いずれも男性)がいたものの、
こういう試みを認められたのは1社のみ、あとは退社して
参加とあった。
男性の育休や介護休暇だって中々認められない昨今、
冒険休暇が認められないのは当然といえば当然。
参加者がいずれも20代、退社した参加者が大体入社3~5年
目くらいの26歳~28歳くらいだが、自分も同時期に
この職場でずっとやっていくのか?という閉塞感があった
のを思い出した。
この人達は、何かを探す、充足感を得ることを目標に
北極へ旅立ったが、私の場合、退社を視野に入れて
コピーライターの養成講座に通ったり、社会人向けの
キャリアチェンジの説明会などに足繁く通っていた頃
である。
それでも「残業せずに帰るのはけしからん」「財団への
貢献度が低い」と陰口を叩かれていたのである。
残業せずに仕事終わらせているのだから、終業時間後に
何をしようと勝手だろうと思うのだが、役所系の財団法人
にまともな常識は通用しない。
「残業する」ことそのものが、人件費獲得に貢献している
こと、立派なことであると推奨するおかしな人種がたくさん
いるのである。
それに異を唱えるものもいたものの、昼休みに会議室で
文句を言うのが関の山。
昼休みのグループを抜けずに
そのコミュニティーの中でプライベートも動け、
よその世界に出て「知識を得る」「スキルアップする」
ということはするなという暗黙の了解があった。
そこで一生を過ごせというのは、若い自分には酷でしか
なかったのだ。
私は「北極へ行こう」とはならず、「学校へ行こう」に
なってしまったが、退職にはそれから10年かかってしまった。
就職氷河期を経て職にありつき、それを失うリスクもあって
いったんやめて人生をリセットしようというおおらかさが
自分には欠けていたのだ。
今振り返れば、20代で仕事をやめて、北極ではなくても
どこかへ留学するくらいのことはできたなあと思う。
これもまあ、めぐりあわせなのだろう。
読み進めながら、自分の人生まで
ふり返ってしまった。
◆探検ではない探験が修験になっていく
北海道での合宿を経てカナダのオタワからイカルイット入り
ここで実地トレーニングを経ての行程が続く。
途中、現地でスーパーに立ち寄って物資を調達する場面
などがあり、インフラが発達している様子も垣間見えた。
足の豆ができた、歩行が困難になった等の体調不良、
緩みがちなチームの情況に筆者が喝を入れる様子も
あますところなく活写されている。
旅の厳しさと人をまとめることの大変さ(今回は人命に
関わる危険も伴うので特に)が淡々とした筆致でつづられていく。
ゴールの瞬間を描写したページも意外に淡々としたものだった
ので拍子抜けしたほどだ。
本書には旅から5年後に、参加者から寄せられた文章が終章と
してつけられている。
就職したり元の職場に戻ったりカメラマンとして転職した
メンバーのそれぞれが語られているのだが、
劇的に何かが変わったわけではないものの、おいしいものや
楽しいものを味わいたいというのとは別の、これからの人生に
楔を打つ旅だったのは間違いない。
SNSで映える写真、気軽に投稿できる内容ではなく、自ら体験した
何物にも代えがたいものを、落ち着きかつ誠実さが垣間見える
参加者の文章にも感銘した。
昨今流行の体験型ツーリズムとは全く異質である。
じわじわくる1冊であるのは間違いない。
ただし、この本の影響でこういった北極横断が物見遊山の
観光客でオーバーツーリズムにならないことを
ひそかに祈る次第である。
※ご紹介した「君はなぜ北極を歩かないのか」はこちら⇒クリック