【2024年5月】檀一雄の美味放浪記と観光食の極意【書評】

無頼派が残した旅と食の記録

昭和の無頼派作家として有名な檀一雄だが、この本が出版されたのは1976年
つまり彼が世を去った年と同年であった。

放浪と不倫を描いた「火宅の人」があまりにも有名になり、
「リツコ・その愛」「リツコ・その死」と共に出版され続けていたものの、
もう一つの代名詞であった文壇一の料理人の方は、その後
あまり言われなくなっていた。
そちら方面の代表作ともいえる「檀流クッキング」と本書は長らく市場の流通がなかった。

父親の作品を何とか残していきたいと考えた娘の檀ふみ氏
(こちらもエッセイストとして近年は有名)がラジオ等で紹介したところ
復刊が決定、私が購入したのはその頃のことである。

◆地産地消がベース

檀一雄の食べ歩き、最大の特徴はいわゆる高級グルメではないところだ。
ご本人が著作で度々書いておられるが、そもそも「食」に興味を持ったきっかけは実母の出奔である。

料理をする母親が不在となり、母の出奔を世間に隠したい父親が家事を外注するのを憚ったため、妹たちを食べさせるために食事を作るようになったのが、台所に立つきっかけだった。

贅沢な飲食(おんじき)の流儀が身につかず(中略)そこらの町角をほっついて、
なるべく人だかりしているような店先に走り込み、なるべく人様が喜んで喰べて
いるような皿を註文し、焼酎でも泡盛でも何でもよろしい、手っ取り早くつぎ入れてくれるコップ酒をあおるのが慣わしだ。

とのことで、旅雑誌の連載でありながら高い料亭には滅多にいかない。
時には地元の人でももう食べなくなった食事を求めて、路地裏の小さな
飲み屋を訪ね歩くような気ままな旅程である。
だからタイトルに「~放浪記」とついているのだ。

本書は国内篇と海外篇の2章立てになっている。
食をベースにしながら、風景や土地の人々の描写(昭和39年6月の新潟地震後の町の様子も書かれている)がいきいきと描かれているのはさすがである。
紹介されている料理は

●ニロギの半日干し
●ヒズの酢漬
●水炊き
●キクラゲの天ぷら
●鮒くづし
●石狩鍋
●ニシン漬
●パエリア
●干しダラのコロッケ
●ビフテキ
●ケフタ

等である。

これらの他に、満足した料理に出会えない時には、地元の市場を訪問して自ら食材を仕入れ、
自分で料理をする。まさしく檀流の「地産地消」を実践している。

いわゆるレシピ本ではないので、分量やカロリーがどうこうといった
話は一切出てこない。
目分量なのだが、文章に合わせて食材を入れ、調味料を入れると
私達でも一品作れる不思議で楽しい料理エッセイの趣もある。
気取りがない、大衆的、実用的、そして風土記でもある。
この人の料理エッセイが、のちのグルメ(食通)とは大きく違うのはここである。

◆文壇交遊録でもある

旅と食の記録は、同行者であった文壇の友人たちとの交遊録でもある。
同じく無頼派であった坂口安吾、太宰治、佐藤春夫、原田康子らと食べた郷土料理の味や
会話が記され、昭和文壇の貴重な記録になっているのもミソだ。
特に親しかった坂口安吾については、早世されたこともあって食のエッセイが
本人への追悼になっている。

一時期、檀家に居候していたこともあったそうで、この辺は娘さんの
「父の縁側、私の書斎」にも掲載されている。

作家名と郷土料理が出てくることで、その人が地域に根差した作品を
書いたことも思い出されてきて、再び読みたくなった作品もあった。

◆体験型観光の元祖として

海外篇に入ると、身振り手振りで車内の人と交流する姿や、市場に行く描写がある。
治安が昨今とは大違いの時代だったと思うが、「郷に入っては郷に従え」を実践し、
何があっても動じない姿勢はご立派。

私が最近気になっているニュース、それは訪日客のオーバーツーリズム問題である。
マナーを守らない、コンビニエンスストアの前から見える富士山を写真に撮りたがり、
ゴミをまき散らす、キャンプ場で大声で騒ぐなど、毎日見るたびにチャンネルを変えてしまう
自分がいる。
私達日本人は英語力が劣るので、何をやっても怒られないと
舐められているのだろうか?

ニュースだけでもこれだけ腹が立つので、地元の方はもっとお腹立ちになっているだろう。
「おもてなし」というスローガンばかり目立つが、むしろ「ありのまま」で過剰なサービスは
せず、ルールはルールとして従ってもらう、法律や条例を改正する、観光税を導入する等
やはり厳しい姿勢を見せることも時に必要ではないだろうか。

50年前の作品を読み、つくづくそう思った次第だ。

ご紹介した「美味放浪記」はこちらクリック