日本沈没の作家が記録した渾身の記録が復刊
1995年1月17日当時、私は学生だった。就職氷河期だったこともあり、
大学院受験を視野に入れていた時期だった。
あれから四半世紀以上経過しているが、当時の記憶は鮮明にある。
阪神淡路大震災当時、関西地域にお住まいだったSF界の巨匠、小松左京が
記したルポルタージュが復刊された。
恐らく令和6年に能登半島で発生した地震や集中豪雨の被害を受けたもので
あるだろうが、早速手に取った。
◆携帯電話が普及し始めたころ
うちにはまだなかったが、ショルダーホン(肩掛け式の携帯電話)から
携帯電話(マラカスくらいの大きさ)になり始めの頃である。
まだぜいたく品であり、社用でも使用していたのはマスコミ関係者とか
一部上場企業の営業担当者くらいのものだった。
まだ日本ではWindows95も発売されていない時期だから(1995年11月23日発売)パソコンではなく、ワープロで文書作成していた時代だった。
アナログ感満載で、テレビ・新聞・ラジオから情報収集していたあの頃、
阪神淡路大震災は発生した。
震災発生から75日後から新聞に連載開始された小松左京のエッセイは、
当時の政界の混沌とした描写(自社さきがけ政権)や近日に発生した
社会的事件を紹介しつつ、当時、仕入れた情報を正確に記録し、
震災の当事者としてメディアや政治関係者からのインタビュー、対談を
織り交ぜながら、立体的に震災を分析している。
言わずと知れた「日本沈没」を書いた大作家であり、活断層の説明や
震度計(震度7の計測)についての詳細な記録等、作品世界を彷彿と
させる描写であり、かつ、読者にわかりやすい説明と写真を使用、
インターネットがなかった時代にここまでの記録を残す辺りさすが
である。
◆震度計は「6」までだった
本文に再三出てくる「震度7」についてだが、
当時の震度計は6までが最高値であり、
戦後まもなく発生した福井地震が震度7を
記録していたが、阪神淡路大震災がこれに
匹敵する揺れだったことを、この書で初めて
知った。
「日本沈没」で震度階を7にしたところ
日本の震度は6までですという投書を、
読者から2回いただいたらしいが、
阪神淡路大震災では、まさしくその
レベルだったのである。
この辺、地震波計の最大速度やテレビ局の映像
消防局の描写も非常に詳しい。
◆この頃からBCPを考えていた
2001年の9.11のテロや2011年の東日本大震災を契機に
企業の事業継続計画(BCP)の必要性が繰り返されて
きている。
私もBCP関連の著作を出させていただいた一人で
あるが、1995年当時に別の言葉であるが、その
マニュアルの重要性、実際に他マニュアルを読み替えで
乗り切った消防局の管制室への取材など、
2024年現在でも参考になる。
この本を課題図書にして、全社員にレポートの提出
を呼びかけたら、かなりの意識向上につながるのでは
ないだろうか。
◆政治や役所組織の欠陥もあますところなく
自衛隊の出動を断っていた県庁、政界再編に気を取られがち
だった政界、東京発の情報に偏りがちなメディア、
心のケア問題等、現在の災害復興でも課題となるところを
詳細に記述、これが後世に活かしきれていないことも、
いち読者としては、かなりショックであった。
この震災では、ボランティアの活動が頻繁に報道されて
「ボランティア元年」と言われている。
さらに、この震災を教訓として、防災士やマンション管理士が
誕生、彼らの持つ知見や手法が、全国に波及するようになった
ことも、体制側の連携不足が遠因であることを考えると
「禍を転じて福と為す」と好意的に捉えた方がいいのか?
それとも、もっと絶望的な状況になっている現在の政官財の
様子を考え「防災庁」のいち早い設立を願うべきなのか?
自然災害以外の「有事」も視野に入れると、最も大切なのは
日本人の意識向上ではないだろうか?
などなど、実に様々なことを考えさせられる作品だった。
SFファンだけではなく、防災や組織運営に興味のある
人達にもおすすめしたい作品である。
※ご紹介した「大震災’95」はこちら⇒クリック