バラエティー番組を観ていると、こんなキャッチフレーズに出くわすことがあります。
「放送コードギリギリ」
あるいは、名作の誉れ高い映画やドラマが「現代の放送コードでは放送不可能だろう」と新聞記事で紹介されることも。
この放送コードって一体、どんなものなのかっていうのを調べてみました。
◆「放送法」が1950年に成立
放送コードの基準になるのは、昭和25(1950)年に成立した「放送法」という法律。終戦(1945年)から5年後ですから、まだテレビ放送は始まっていません。最初は、ラジオのみが対象でした。NHKがテレビ放送を開始したのが1953年です。
法律が作られた頃、恐らくテレビ放送が始まることを念頭においていたのは間違いのないところ。ただし、日本人のお給料では食べていくのが精一杯で、テレビを買うお金なんてありません。そこで、「街頭テレビ」が駅前広場や繁華街に建ちます。みんなはそこで、プロレスや野球を観てから家に帰ったのです。
◆放送コードはテレビ局が作る独自の基準
放送法の中に、「放送局として放送番組の基準を作る」という文言があります。つまり、放送局が自分たちで決めた基準なわけです。芸能人の結婚離婚はワイドショーで流し放題、犯罪中継もモザイクなしでした。
いわゆる「放送禁止用語」なる言葉はあり、それを言っちゃいけない、言った人がテレビで見かけなくなったなんてことは子供心にわかりました。
「放送コード」とか「放送倫理規定」という言葉を頻繁に耳にするようになったのは、1995年頃でしょうか。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こった年です。
避難所にテレビカメラが容赦なく入り、ヘリコプターや中継車で災害現場を中継。これをテレビ各局が何台もやるわけです。意気消沈している人のプライバシーや復興作業の邪魔になるという視聴者からの苦情が、テレビ局に殺到した時期でした。
この辺から、ワイドショーや情報番組が芸能一辺倒から社会情報ネタにシフトしつつあったため、少しずつ放送コード基準が上がってきたように思います。
それでもまだ、ドラマや映画に関しては状況により、当時の放送コード基準を超えたものかなあ?と思うものが放送されていました。
1997年に俳優の勝新太郎さんが亡くなった時には、追悼作品として盲目の主人公が登場する映画「座頭市」の中の1作(「座頭市 千両首」と記憶)が地上波で放送(放送前に字幕スーパーで注釈つきだった)。放送禁止用語やハードな立ち回りが現代の基準にそぐわない、たぶん無理だろうと思われていたのですが、勝新太郎さんの代表作といえばこれ、これを外すことができないというテレビ局側の判断が勝ったのでしょう。地上波の民放で、これは中々の英断でした。今は亡き私の父親が、録画して喜んでいた姿を思い出します。
◆放送見合わせの理由は誰が決めるのか
じゃ、どういう事情から放送見合わせになるのかっていうと、これも明確な基準が細かに公開されているわけではありません。ただし、今までのテレビ放送の傾向から考えると、
1.出演者の薬物、道路交通法違反等の刑事事件になるような不祥事
2.出演者が事務所を移籍して権利関係で揉めている
3.フィルムの紛失・劣化
辺りではないかと推理しています。
また、放送コードに関しては、地上波と有料のBS・CS、動画配信サイトでは基準が違い、有料のBS・CS、動画配信サイトの方が緩やかです。お金を払ってでも観たい!という人が加入して観る番組なのですから当然といえば当然。こういうチャンネルでは、血しぶきが飛ぶ時代劇や厳しい取り調べのある刑事ドラマなんかをバンバン放送しています。
1991年頃、まだ開設されたばかりのNHK-BSのチューナーとアンテナを、父親がつけました。天下のNHKです。みなさまの公共放送です。放送コードが日本一厳しそうです。
そんなチャンネルで、当時、地上波で放送されることが皆無だった「必殺仕置人」や角川映画の「野生の証明」をノーカット(差別用語は消されていましたが)で放送、毎日VHSテープに録画していました。
また、月に1回、永六輔さんと漫画家の里中真智子さんが司会する「青春テレビタイムトラベル」という番組が放送されていました。一つのテーマを2時間半から3時間程度取り上げる大型番組だったのですが、その番組で「あさま山荘事件」のNHKや民放各社のカメラ映像や取材したジャーナリスト、警察関係者のインタビューを取り上げたり、「CM万華鏡」というテーマで、日本のテレビコマーシャルの歴史的名作が流れっぱなしだったこともあります。
「その映像の資料的価値と歴史的な背景」を考えた上で、冒頭字幕や司会者のお断りコメントを付けて堂々と放送する、それが新しいBS局の実験的使命であると割り切った放送だったようで、NHK-BSを観るのが毎日楽しみだったことがありました。
そして私の家にスカパー!のチューナーが入ったのが1998年の冬。社会人になった私が、冬のボーナスで自室にチューナーとアンテナをつけたのです。BSをつけてた父親が「あっちにすごいのがついたらしい」と興味津々に覗きに来ますし、仕事から帰宅して部屋のドアを開けたら、毛布被った姉が「太陽にほえろ!」と「トラック野郎」をはしごして観ていたなんてことも。当時のCSは今以上に、1960年代から1980年代の日本のテレビドラマ再放送の宝庫でした。
父が亡くなり、アンテナが錆びてきたので、2012年にいったんCS契約を解除。2年程前に110°CSの方に復帰しましたが、番組プログラムの方向性が以前とはちょっと違った感じになっていまして、昔ほどの面白さを感じなくなっています。
◆「地上波で放送して!」とよく聞くけれど、放送されない理由は多分これ
8月14日に俳優の渡哲也さんが亡くなられたニュースが入りました。インターネット上では「日本テレビは大都会を地上波で放送してほしい」「テレビ朝日は西部警察を地上波で追悼番組として放送してほしい」という声が上がっていました。
ここ数年、有名人の訃報が入る度に、追悼放送を地上波でやるか否かということが話題になります。結局、渡哲也さんの追悼番組を地上波で放送したのは、NHKの総合放送のみ、ワイドショーで「西部警察」の映像は断片的に流れましたが、まとまった追悼番組の放送はCSのファミリー劇場、その他CS局で一括されています。
「取調室の拷問やショットガンの乱射や爆破シーンが現代にそぐわないから」「視聴者からの抗議が来るから」という理由で、昔の刑事ドラマは地上波で流れないのではないのかという人もいます。しかし、「この番組はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです」という一文は、ドラマが本放送されている時から必ず入っていて、それを現実と混同して抗議するってことはまず考えられません。いたとしても1人か2人でしょうし、それくらいは対応できるカスタマーセンターを地上波のテレビ局だって持っていることでしょう。
BS放送になりますが、日本一厳しいと言われるNHKのBSプレミアムで「西部警察」の特集が組まれて放送されたくらいですし、取調室のロシアンルーレットのシーンの元ネタであろう、ハリウッド映画の「ディアハンター」も、アカデミー賞受賞映画特集で何度も放送されています。放送の資料的価値と背景を鑑みて、放送してくれる局もあるわけです。
何故地上波で放送しないのか?思い当たる理由としては、今のテレビ番組の編成です。
私が子供の頃は、8時30分にワイドショー、10時にドラマの再放送、お昼にメロドラマ、13時台にちょっとしたニュース番組、14時にドラマの再放送、15時に「3時にあいましょう」「3時のあなた」なんかが放送されて、16時にドラマ(時代劇)の再放送、17時にまたドラマ(刑事ドラマ)の再放送って感じでした。
こんなの毎日観ていたら、うちのおばあちゃんの頭ん中はどうなっちゃうんだろう?って心配するくらい、ドラマの再放送ばかりやっていました。しかし今は、どこのテレビ局も6時から8時、8時から10時、10時から14時、14時から16時のくくりで「大型情報番組」を放送します。政治やコロナウイルス関連の話題について、大きな掲示板の紙をめくって説明、ゲストコメンテーター枠に、政治評論家、弁護士、お笑い芸人辺りが4~5人来て番組進行。このパターンで毎日やってるわけですから、有名人が亡くなった際、その番組枠を全部潰して追悼番組として映画やドラマをやりますなんていったら、スケジュール調整が大変ですし、その人達には出演料が支払われないことになります。
また、ドラマや映画の再放送であっても、出演者には二次利用料が支払われます。情報番組の枠としてCM料金を支払っているスポンサー企業さん、もしかすると追悼放送枠になった方が二次利用料込みでCM料金が高くなる可能性もありますし、情報番組だから買っているCM枠なのに、追悼放送されちゃうと、ターゲットにしている層が観なくなるじゃないか!なんて可能性もあります。
亡くなられた俳優のドラマの追悼放送でこれです。歌手の追悼番組の場合、歌番組をまるまる再放送となった場合、他の歌手や作詞家、作曲家、編曲家の許諾も大変そうです。
追悼番組が地上波でやられなくなったのは、「表現の問題ではなく、編成上の問題ではないだろうか」というのが私の推理です。
そうでなくてもコロナウイルスの影響により、日本中、どこの企業も大変です。テレビ局の広告収入が減少、フリーキャスターで出演料の高い人がリストラされるなんて話もちらほら聞きます。テレビ局や制作プロダクションは、有料の動画配信サイト、CS放送に映像を提供し、視聴者からの月額料金を確実な収入源にと考えるのは当たり前のことです。
そのせいか、有料のCSサイトで「夜のヒットスタジオ」(西城秀樹さんの追悼扱い)や「ザ・ベストテン」の再放送が始まり、それを観ていたらおもいがけず大塚博堂さんの映像を観る機会に恵まれたなんてこともあります。
ここ数年、訃報を聞いた有名人の方、例外なくCS放送で追悼番組が放送されていますし、動画配信サイトやDVDで観ることも可能です。
地上波でという気持ちもわかりますが、「お金を支払ってその人の映像を観て静かに追悼する」っていうのが、令和流の追悼スタイルなのかもしれません。