前回のブログの続き。特別企画として放送された「ザ・ベストテン」の1982年5月6日放送分から、その時代を振り返ってみます。
◆昭和史に残る出来事が相次いだ1982年
この年は、世相に残る出来事がたくさんあります。まず、中曽根康弘さんが首相になります。その前年、行政管理庁長官時代から臨時行政調査会を発足させ、「増税なき財政再建」をスローガンに掲げます。その会長に指名されたのが、経団連会長だった土光敏夫さん。
NHK特集で朝食にメザシを食べている姿が映り、「大企業のトップにいる人がメザシ食べている」と行革推進への大きなイメージアップになりました。うちも、「土光さんだって食べてるんだから」とメザシが頻繁に食卓に上りましたが、土光さんに関係なく、単にスーパーで安かったからじゃないかと思います。ま、親も大変だったので、土光さんの名前を出せば何となく立派な魚に見えるとか、立身出世できるとかのイメージ付けしてたんでしょうね。
事件・事故ですが、2月8日にホテルニュージャパン火災、翌9日に羽田沖の日航機逆噴射事故が連続します。連日、このニュースが繰り返し流れていて、「逆噴射」「機長やめて下さい」というやりとりは有名になりました。
他の流行語で思い出すのは、デパート社長が解任された時に放った「なぜだ!」ですね。小学校で自分のやりたくない当番が回ってきたときに、「なぜだ!」と叫んでウケを狙った生徒がたくさんいました。
私は前年、北海道から千葉に引っ越し、学校生活に表向き馴染んでみせたものの、女子のやや陰湿なグループ(今でいうスクールカースト)に、いちいち難癖つけられたくない自分もいて、一人で行動することがありました。人を見る目のない担任から「協調性がない」と通信簿に書かれましたが、身を守るにはこの手しかありませんでした。この年最大のヒット曲だった、あみんの「待つわ」を聞くと、曲の暗さに小学校生活がオーバーラップして悲しい気分になります(今は立ち直りましたが)。
◆1982年5月6日放送分
1982年5月6日の放送回の順位は(敬称略)
1位:ふられてBANZAI(近藤真彦)
2位:色つきの女でいてくれよ(ザ・タイガース)
3位:チャコの海岸物語(サザンオールスターズ)
4位:南十字星(西城秀樹)
5位:渚のバルコニー(松田聖子)
6位:心の色(中村雅俊)
7位:YES MY LOVE(矢沢永吉)
8位:シルエット・ロマンス(大橋純子)
9位:誘惑(中島みゆき)
10位:ティアドロップ探偵団(イモ欽トリオ)
7位と9位のお二人は出演がなく、8位はレコーディングスタジオから届いたスナップ写真を紹介しながら、過去のVTRを放送。
今日までカラオケ人気の高い「渚のバルコニー」が初登場しています。この曲は2週間後の5月20日に1位になって3週キープしたものの、6月10日にいったん、トシちゃんの「原宿キッス」に1位を明け渡し、翌週の6月17日に返り咲き1位になった珍しいケースです。
もっとも翌週、年間売上3位の岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」が1位になり、5週連続でキープ。
当時、歌手のシングルレコードのリリースは3か月に一度だったため、この曲が1位記録を続けているうちに、近藤真彦さん(マッチ)や沢田研二さん(ジュリー)は別の曲でランクイン、という目まぐるしい状態でした。
デビューでいえば、1960年代にGSでデビューしたジュリーが年長、1970年代デビューの西城秀樹さんや岩崎宏美さんもヒットチャートの上位に入る曲をちゃんとリリースしていたのはさすが。4位の「南十字星」は東宝系の戦争映画の主題歌なのですが、テレビ放送やDVD化もされることがない、レアな映画となってしまいました。映画そのものの発掘をぜひCSチャンネルにお願いしたいところです。
また、6位にランキングされている中村雅俊さんですが、俳優業をメインにしながら、デビュー曲の「ふれあい」が1974年のミリオンセラー、その後も「俺たちの旅」「俺たちの祭」「恋人も濡れる街角」等のヒット曲多数。彼のデビュー曲のために、新御三家の有名なヒット曲が軒並み2位で足踏みしちゃったという逸話があります。札幌に住んでいたころ、近所のお姉ちゃんがファンクラブに入っていて、結婚報道観て泣いちゃったくらい、人気がありました(笑)。
「心の色」も1982年3月11日から4月8日まで5週連続1位を記録しています。TBS系列のドラマの主題歌だったので、相乗効果もあったのかもしれません。
こうやってみると、アイドル優勢に見えながら、粘り強くランクインする大人の歌手もちゃんといることに気がつきました。
1990年代のCDバブルの時代以降、アイドルは「ミュージックステーション」で、演歌はBS系の「人生、歌がある」等に区分けされています。「ミュージックステーション」に演歌歌手やベテランのポップス歌手が出演したのを観たことがありませんし(1989年頃にジュリーが出演したことがある程度)、「人生、歌がある」にバリバリのアイドルが出演しているのを観たことがありません。
両世代のバランスを取っているのは、NHKの「うたコン」くらいでしょうか。若手がベテランと共演することにより、プロとしての心がまえを自然に吸収する機会や、バンドを入れた生演奏のスタイルを維持しないと、歌番組のノウハウが途切れてしまいますので、NHKには頑張ってほしいです。
また、今回の放送ではスポットライトのコーナーで、デビュー間もない小泉今日子さん(キョンキョン)と三田寛子さんが登場していました。今から考えると貴重な映像となっています。
◆はい、ポーズのいきな計らい
今回の放送は2~3か月前から予告されていました。その間、2位にランクインしたザ・タイガースのメンバー、岸部四郎さんが亡くなられたので、期せずして追悼放送の位置づけになってしまいました。GS全盛期を知らない私にとって、ザ・タイガースといえばこの曲です。「ザ・ベストテン」が一番高視聴率の時期に、同窓会の位置づけでメンバーが集まり、ヒットが出たことは幸運だったと思います。
メンバー全員が4月をもってそれぞれの活動に戻っていたので、1982年4月のVTRが流されましたが、ランクインしたということで、ジュリーがスタジオ入りして記念写真に収まったのもいい感じでした。
本編放送後、マッチと黒柳徹子さんの対談つきでした。そこで、「さざんかの宿」(大川栄策さん)のタンス担ぎまで紹介されるサービスぶり。1週だけではなく、2~3週連続で担がされていた記憶があります。歌より特技の方が強烈な印象でした。
歌を聞くと、その時代の自分がオーバーラップするという経験は、久しぶりの経験でした。
11月以降の再放送に期待したいところです。